こんばんは🌟
本日のレッスンで、うちの主人のエピソードから繋がってお話ししたヨガ哲学について、書いてみます。
主人は飴🍬を一切口にしません。
理由は、子供の頃食べたら口中にたくさん口内炎ができて大変な思いをし、飴が怖いから。
何十年も経っていて、ほかにも口内炎ができたことは何度もあるのに。
本当に飴が原因だとわかっている(アレルギーとか?)のなら食べなければよいけど、痛かった辛かった感情が 怖いという感情にすり替えられ、事実を見ようとしません。
こだわりすぎたり、囚われ、執着していると正しい判断ができなくなります。
もしかしたら縁日で 娘と一緒にりんご飴を食べて楽しい思い出ができたかもしれないのに、
遭難したとき飴を口に入れていれば助かったかもしれないのに(空想です🤣)、それを制限してしまっている。
ちょっと飴だとエピソードが弱いかもしれませんが😅ここで思い出すのは
『執着を手放し、何が真実で何が真実ではないのか?を見極める知性(=事実を見る目)を持ちましょう』
というヨガの教えです。
ヨガに来てくれた方にわたしが必ずお伝えするのは、
「ポーズができる・できないではなくて、やろうとしたときの身体の様子・心の状態を観察してみて」
ということです。マットの上は日常生活の練習です。
本当の気持ちを押し沈めるのではなく、自分で理解して受けいれる。
これを繰り返していくと、囚われていたあることに気づき、浄化していけるのだと思います。
浄化は、自分で制限をかけていたことを取り払うことができたり(ブロックを外す)、気にしなくていい状態になれると今のわたしは認識しています。
浄化が進むと、気楽で 心は満たされ HAPPY でいられる💕
わたしは以前、自分の気持ちを話すと涙が出てしまい、それはとても弱くカッコ悪い自分だと思っていて、いつの間にかなるべく自分のことを話さないように生きていました。
そのことに気づいてもいませんでした。
ヨガを続け、哲学を学ぶ中で小学校2年生くらいのときの記憶が蘇ったことがありました。
学校で仲の良かった女の子に悪口を言われていることを知り、とてもショックを受けて帰りました。
おじいちゃんおばあちゃんも一緒に暮らしていて、愛情をたくさんもらって なんの不安もなく明るく生きていたわたしには、初めての裏切り?のように感じたんです。
様子がおかしいことに気づいた母親に「どうしたの?」と聞かれ、とっさに
「◯◯くんと喧嘩した」と答えました。
すでに本当のことは言えなかったのですが、言った途端涙が溢れたわたしに 母は
「そんなことで泣いてるの!?ママだったら男の子にだって負けないね!」と笑いました。。。
そのことが私の心には、
▶泣くのは弱いこと
▶弱い自分はダメな自分 と強く残ったのです。
思い出したわたしは、
●ああ本当はママに甘えたかったんだね●と
思いっきり泣いてそのことをスマホのメモに書き綴りました。
当時の母はきっと、わたしを鼓舞して、元気づけたっかったのでしょう。
これがきっかけで、泣いたって 弱くったっていいじゃん🩷と思えるようになり
ありのままの自分を少しづつ受け入れることができました。
フィットネスとヨガの違いは、ここにあるのではないでしょうか?
相模原市のヨガ教室 『with KULAM』 HP
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